初心を再び

さらら

2015年02月26日 10:11

先日、母校である鹿屋体育大学の大分OB会がありました。

懐かしい先輩方や同級生、そして後輩、初お目見えの後輩たちに会う事が出来ました。

その日から数日、大学時代から、就職、結婚、これまでの子育て、

いろいろな場面をやはり懐かしく思い出すことが多くなりました。


高校までは、競技の世界と受験にどっぷりつかり、

人と競争すること、他者に勝つことで自分の存在や努力を認める日々だったのかもしれない


大学で、さまざまなスタンスでスポーツと関わっている先生方、友人たちと出逢い、

何かに疑問を持ち、その疑問をひも解くために仲間とともにチャレンジすることが楽しいと
そう感じ始めたのかも


月刊「体育施設」というスポーツ施設の建築系専門誌の記者となり、
新しい知識に一喜一憂し、次第に、自分の意志や意見を文章でなら、はっきりと伝えられるようになった―と


地元で新聞記者になった時は、真剣に仕事はしていたけれど、
一方で、東京で得た知識を表現したい、そこに共感してくれる人とだけ繋がれる―という自己中な私であったのかも


結婚して、出産して、そしてこれまで、子どもたちに逆に育てられ、
少しは、ものの見方が多様になってきたのかな?



こんな私だけれども、一貫してやってきたのだなあと思えることがあった。


それは、「できないとあきらめるより、やれるようになるにはどんな方法があるのかな?」と考えることだ。


雑誌記者時代、毎月の特集記事の企画。広告主とのバランスで掲載できないかもしれないという内容もあった

でも、ひとつの大事なテーマに向かう心が同じであるならば、何か、切り口を変えれば、

一緒に考えていこうとう問いかけの記事と特集は組めると信じた。


新聞社では、最初に配属された校閲部の大先輩達が、長年の3交代の仕事サイクルで、
体調を壊す方も多かった。

せっかく、体育大学を卒業したのだから、社内の体調改善の取り組みに何か貢献できないか?と、
その頃流行っていたダンベル体操教室と、昼休みの運動相談を始めてみた。

最初の思いとはちょっと違う方向に向かったが、数年間、教室を続けることができた。


そして、15年前からは、小学生までの子どもたちがいろいろなスポーツを体験できる場所がないなと感じ、

鬼ごっこ、サッカー、ドッジボール、タグラグビー、たまに野球やフリスビーが1日で体験できる
「アクアホップ雄城台」というスポーツクラブを大分雄城台高校に立ち上げた。
今は、流れの中で、タグラグビーだけをやるようになり、私はスッと引退した。

そして、横瀬西SFCは、

○サッカーだけではなく
○勝つことだけではなく
○いつもいつもベンチにいなければならないのではなく
○いつもいつもダメな自分と向き合うためではなく

スポーツと言う活動を通して、子ども同士が、関わる親同士が互いに成長しあえる、地域の中の
子育て共同体をつくりたい!と立ち上げた。

実際に、子どもたちが忘れ物をすることや、あいさつをするしない、サッカーノートを出す出さないなど、
いろいろな場面で、親子でそして、保護者同士で、コーチを交えて意見を交わしている。
面倒なようで、とても大切なことだと思う。(実際、お互い、精神的にきついときはあると思うが)

そこをはしょって、強くなることだけを追っていくことはできないと思うからだ。


明後日、28日は横瀬西SFCの保護者総会が行われる。

2014年度の締めくくりと、2015年度のスタートを前に、初心を再び思い出してみた。












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